大戸の祖先達が残した貴重な文化遺産の野仏。次世代の人たちに引き継ぐことが出来れば

野仏の解説

馬頭観世音・牛頭観世音

DSC_6587.jpg馬頭観世音は、大力持明王ともいう。六道の苦界に迷う衆生を救うために示顕する観音菩薩であって、摩訶止観の説により唐の道邃和尚が六字経験記のなかに畜生道に馬頭観音を配している。
江戸時代中期ごろ以来、馬を扱って生活する農民や馬喰などの人々によって信仰されるようになり、各地に馬頭観音の供養塔が建立された。RIMG0451.jpg
馬頭観音のお姿はは忿怒の相、頂に白馬頭を載せ四方を駆けめぐって、一気に猛進し、生死の大海をわたり、四魔を打ち破るの大威力や精悍さを象徴しており、無明の諸障害を除くこと、馬が草を食むごとくとあるとされている。
しかし、当市域でみられる馬頭観音はほとんど文字塔でわずか数基で合掌した像である。大戸観音堂境内にある塔が宝暦二年(1752年)で市内でもっとも古く、立像を浮き彫りし遍馬諸難消除祈所、同行五十人と書かれている。
最も新しい碑は相原町大戸東谷戸に昭和三十五年(1960年)二月十二日八木良一建之とある。この東谷戸は坂の登り口にあたるので、この坂を越える馬にとってはたいへんな難所であったろう。ここには七基の馬頭観世音供養塔が立っている。
なお馬頭観世音も守護の範囲を広げて馬ばかりではなく、斃牛、屠殺牛の供養まで及び牛頭感音も出現している。