大戸の祖先達が残した貴重な文化遺産の野仏。次世代の人たちに引き継ぐことが出来れば

野仏の解説

道祖神

RIMG0136.jpg道祖神信仰は次の三つの源流から由来する
一つは中国では古来「道祖神」は道を守護する神として、旅に出る前には、必ず宴を開いて道祖神を祀り、旅の安全を祈る風習があった。この思想が太平時代(八世紀前半ごろ)に遣唐使や僧侶などによってわが国にもたらされた、都や国境、宮殿の四方四隅のはずれなどで道饗祭(みちあえまつり)が行われるようになり、また地方では旅の安全を祈念する風習が生まれるようになった。
二つとして日本の原始宗教のなかに岩石祟拝(医に神が下りると考える)や生殖器祟拝(生む・生ずることを祈念するとき象徴的に男根をかたどった石などを対象とした)の思想があった。これも道祖神の祖形と考えられよう。
三つ目は、また古事記、日本古事記などに含まれる神話に、男神の伊邪那美命が香泉比良坂(よもつひらさか)まで迫ってきた女神伊邪那美命を千引の岩で塞ぎさえぎったことからその岩の「賽の神」をむすびつき、あるいはまた瓊々杵命(ニニギノミコト)を天八衢(あめのやちまた)に迎えて道案内をしたという猿田彦命が衢の神となって、神道での道祖神となっている。
このような思想から「賽の神」は悪疫などが村に入らぬように村外れなどに立てられた、また仏教信仰と結びつき(賽河原や三途の川など)六道輪廻の思想から六道の辻、六観音、六地蔵などが考え出されていったと思われる。
生殖器祟拝思想は古来そのまま農耕と結びつき農作の神として害虫を防ぎ五穀豊穣を祈るために祀られるようになり、各地の農村で正月十四日(ところにより十三日、十五日)に子供たちによって行われるどんど焼き(左義長、サイドバライ、サイノカミマンジン)など祭り行事ともなっている。
また一方には子孫繁栄の思想から男女二体を掘った道祖神もうまれて、縁結びや夫婦円満を祈る神にまで発展したのである。
したがって道祖神の所在や像の形式。祈りのしかたなどを考えあわせることによって、その村の、あるいはその世代の人々の社会生活や信仰のありかたなどをさぐってゆくことも出来るのである。
町田市域でも各所でどんど焼きの行事が行われていたが、近年世相の急変に伴ってしだいに廃止され、わずかな地域などに残っている程度である。