大戸の祖先達が残した貴重な文化遺産の野仏。次世代の人たちに引き継ぐことが出来れば

野仏の解説

地蔵菩薩

RIMG0509.JPG道傍に、寺の参道に、あるいは墓地の入口などあって、最も人々に親しまれている石仏が地蔵であろう。
その姿は円頂衲衣でいわゆる地蔵袈裟をかけ錫杖を右手に宝珠を左手に持つのが一般的である。また坐像、半跏像のものもある。
立像の遊行の姿をしたものは、さながら冥界とこの世の間を往来して衆生裂済度の地蔵菩薩本願の大慈悲心を顕現しているように感じる。
地蔵菩薩は釈迦如来が入滅された跡、弥勒菩薩がこの世にあらわれ衆生救済にあたるまで五十六億七千万年の間、釈迦如来から人間救済の委嘱を受け六道に現われ、よく衆生の能化するというものである。
六道とは地獄道(怒)、餓鬼道(欲)、畜生道(愚)、修羅道(闘争)、人間道天道(喜悦)をさしていて、この世で悪いことをしたものがその因果のむくいとしてそれぞれ地獄道、餓鬼道、畜生道、修羅道に良いことをしたものは人間道天上界に生まれ変わると教えている。
六地蔵尊は六道に輪廻転生して、苦しむ衆生を救うため六つに分身して済度するお姿である。
この地獄信仰は奈良時代中国から伝来して平安末期には当時盛んであった観音信仰にとってかわり、さらに鎌倉時代に入って、乱世の相を呈してきたいわゆる末世ともいうべき世相になっていよいよ盛んになってゆくのである。
さらに南北朝、室町時代へと戦乱につぐ戦乱で、人心は極度に動揺して死者は地獄に堕ちて閻魔大王の裁きを受け針の山、血の池などで言語に絶する責苦を受けるのだと説かれていたから阿弥陀如来の未来観音菩薩の現世利益とは異なって、地蔵菩薩は現世利益と死後の冥界をさまよう亡者も救っていただける功徳はすべての宗派を越えて信仰され急速に広まっていったのである。
この教えは江戸時代に入って泰平の世となってもなお盛んで、しだいにいろいろな民間信仰と習合して庶民のあいだに深く根をおろしていった。
また地蔵さまが少年や憧形であらわれて人の苦難をすくった伝説など多く、とりわけ子供の安泰を生前、死後を通じ守護してくれると信じて、子育て地蔵と称するものや、とげ抜き地蔵、いぼとり地蔵、間引き地蔵、延命地蔵等々が庶民の願望に結びついての表れとなっていったものである。