大戸の祖先達が残した貴重な文化遺産の野仏。次世代の人たちに引き継ぐことが出来れば

野仏の解説

地神塔

DSC_6644.jpg多摩地区で地神塔は五十九基を数えるが、その分布は、町田市の四十八基、八王子市の六基、府中と多摩市が各二基、檜原村に一基となっている。つまり八割以上が町田市内にあるのでから、多摩の地神塔は、町田市を中心に建ったと言っても過言ではない。
このことを裏付ける貴重な資料が町田市金井西田にあったからである。今日では風化破損して判読さえ不可能であるが、60数年前以前にはわずかながら窮知しえた。それは西田にあった地神塔の側面に、地神信仰について延命院の修験者が碑文を書いて残したとみられる。この修験者がこの地域で、地神信仰を布教して、信者を集め各所に碑を造立したものと推定できる「延命院は、原町田六丁目 浄運寺前に昔あった天満山延命院で、町田市の草分けといわれる武藤氏所蔵寛永十四年の古文書の中にでているという」
地神塔は地・堅牢地神。堅牢地祇・堅牢地天などの異名がある。神名の意味は、堅牢とは地が堅牢で不壊(こわれぬ)でありことを神と名づけたともいわれている。五穀豊穣や福徳の祈願のために祀ったり、あるいは葬所を造るなどのときに、土地を鎮め、さわりのないように祀ったりする。
総じて文字塔で天下泰平・国土安穏・五穀豊穣などとかかれている。