金剛悲地蔵(入口西部)
年号なし 記名の台石失う
本体 地蔵座像 寸法 本体 80*68*35 蓮座 18*70*70 台座(1)25*57*57 (2)20*75*57 |
金剛悲地蔵(東に向かって左から一基目)
年号なし
本体 地蔵座像 台座 A面 (右) 上相原 (中央) 金剛悲地蔵 (よてんがじぞう) (左) 恵日庵 B面 風間村 施主 沙念尼 寸法 本体 54*40*30 蓮座 16*50*45 台座(1)32*28*26 (2)13*50*45 金剛悲地蔵 こんごうひじぞう 左手に錫杖を持ち、右手は引接印を結びます。 畜生道から救います。 |
金剛幢地蔵(東に向かって左から二基目)
年号なし
金剛幢地蔵 こんごうとうじぞう本体 地蔵座像 台座 A面 金剛幢地蔵(こんごうとうじぞう) D面 諦説恵観居士 施主 八左衛門 寸法 本体 54*40*30 蓮座 16*50*45 台座(1)32*28*26 (2)13*50*45 左手に金剛幢を持ち、右手は施無畏印を結びます。 | ||||||||
金剛幢地蔵(東に向かって左より三基目)年号なし
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南無釈迦牟尼如来(東に向かって左より四基目) 年号なし |
金剛願地蔵(東に向かって左より五基目)年号文化十四年八月六日(1817) | ||||||||
放光王地蔵(東に向かって左より六基目)年号なし |
預天賀地蔵(東に向かって左より六基目)年号なし | |||||||||
誌
武州上相原村字泰良谷の十一面観世音菩薩恵日庵は近隣の信仰厚く、そこに寛政、文化、文政の頃沙念尼と浄心尼といわれた庵主さんが居られました。風間村在住の浄心尼が願主で近隣の方々の協力で人々の平和と幸福を巻か希い、それぞれ追善供養のための地蔵菩薩様を建立されました。昭和十八年頃道路の拡張で移動され首がなくなっていたので、平成二年観音様のお開扉の中、松日楽綱久が永年の念願で秋元石材の協力を得て首をつけさせていただきました。それから十二年裏山の取付道路工事にともない、済度移転しました折、下の台座がいたみ昔の方々の真心が忘れさられることを惜しみ圓林寺さんのご指導ををいただき一部修復をして長く地域の人々と繁栄を希う願主の心を大切に伝えていきたと思います
圓林寺第三十七世明代
平成十五年秋彼岸 真と松日楽綱久
記念碑
懸念碑の章にで記します。
記念碑に関しましては、記念碑の章で記します。