相原の歴史・観光

大日如来

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場所 中相原七国2289-1番地
石像造立は(1677)寛文七年といわれている。
本体 大日如来坐像
台座(1)A面  (右)奉造立大日尊像
   (中央)(上)大日如来梵字(下)七國山
       (左)待溝中 吉野道太郎
台座(1)B,C,D面文字ありも不明
寸法 本体座像64*50*32
     蓮座16*50∮
     台座(1)21*32*32
大日堂
この大日如来像は高さ64㎝の石座像で寛文七年(1667)に作られ、真米地域の守り本尊として人々に信仰されている。「新編武蔵風土起稿」文政五年(1822)に「中相原村の北なる山の中腹に九尺四方のお堂があり、石の座像長さは二尺、覚王院の持なり」と記されているが、当時のお堂の跡は不明である。
明治のはじめ頃、一村一社の達しにより、中相原村では、根岸の日枝神社と開都の御嶽社、七国の大日如来の三社一仏を御嶽社に三社神社と呼んで合祀された。
その後、それぞれの事情があって、日枝神社、大日如来は元の場所に戻された。今も大日如来は地域の人々に守られ、平成十四年にはお堂の改修工事が完成し、定期に境内や参道の整備が行われている。(例祭日は4月8日)

お堂の裏は七国山山頂で標高223mを示す三等三角点があります。

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