相原の歴史・観光

百とらず

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昭和初期、中相原地区の町田街道は「処々現在も旧道として残っている」開都より境川に添って西に二國橋の北極十字路を通って白田橋まで左手に川の流れを見ながら続いていた、白田橋を渡って境川とはなれ北西に三十米行った処がT字路で角が砂利置き場になっていた。昔は部落総出の勤労奉仕で道普請をするそのための砂利置き場になっていた。北にのびる道は真米に行く陰道となっている。その白田橋より三叉路に至る三十米ばかりが百取らずと言われていた場所です。真米は谷戸ですので寒い北風が樋になって吹いているので、とても寒く、道に百文落ちていても拾う元気もないと「百取らず」と言われた場所ですが現在は家並みも多くなって昔のような寒い北風は吹かなくなりました。

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