相原の歴史・観光

中村勝造 功徳碑

DSC_3657.jpg

場所 中相原開戸2203-1中村氏宅 庭内
(1896)明治廿九年十一月十四日
本体A面 碑文(別掲)
  C面 建立者氏名
賛成者 武習館々員48名 発企者21名
 〃  其の他  5名  親族者10名
    八王子 石工 大助刻
寸法  本体136*90*20
    台座80*100*100
本体  山型平板石
台座  自然石

中村勝造 功徳碑

郷土の剣士中村勝造先生の功徳碑は門下の弟子達に寄って先生居宅前に樹てられたが今日では子孫が移転して碑とともに現在の相原二国橋の近接地にうつされている。
碑文を借りて先生の功徳を偲ぶこととする。
「先生は通称勝造、武陽南多摩郡相原村の人なり。その祖先は甲斐国士中村肥前守の末裔に係る。父の名は森吉、花形氏を娶り、三男三女を生む。先生はその長子なり。人と為り豪邁沈毅にして、経学を通じ武術を能くす。年甫めて六歳母を失う。十二歳にして出でて他家に仕う。居ること八年、遂に志を抱きて郷関を辞し江都に遊び、近藤、島崎両先生を師として剣法の秘蕰を究む。領主の旗本高井氏に仕えて苗字帯刀を許される。
後郷に帰り青山氏を娶り一男二女を生む。こうこうとして家業に勉め傍ら村里の子弟を集めて剣術を教授し、似って文弱の幣を矯む。近郷従い学ぶもの数百人。名を得る者尠(すくな)からず。
先生亦公共事業に勉め、為めに財を抛(なげう)つこと瓦礫を捨つるが如し、郷人似て侠と為す。
明治廿八年十一月十四日溘然として病に似て逝く。享年五十有三なり、徳業未だ央(なかば)ならず。天若く此に年を貸せば、豈啻に此に止まらんや。後一年門下の弟子胥謀りて石を樹て似て功徳を勒さんと欲す。乃ちその顛末を叙べて。
云爾(しかいう)
明治廿九年十一月十四日    杉山 義胤撰併書

DSC_3655.jpg

DSC_3656.jpg

DSC_3657.jpg

DSC_3658.jpg

DSC_3659.jpg

DSC_3660.jpg