大戸の記念碑

多摩送信所跡碑とアンテナ木柱台石


場所

町田市相原町大戸4198法政大学工学部入口十字路北側

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多摩送信所跡碑

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本体A面
1988年3月30日 法政大学
寸法 135*180*50
   A面 中央部厚さ35に両側より湾曲している
寸法 碑文 A面 60*80(角穴に嵌め込み)
碑文 多摩送信所跡第二次世界大戦末期に近い一九四四年(昭和十九年)本土空襲の本格化に備え対外送信の確保が要請され国際電気通信株式会社によって隠蔽送信所として多摩送信所の建設が着工されました。 当時の東京都南多摩郡境村相原と横山村寺田にわたるこの地に、アンテナ敷地七万四千坪(二四四、000平方メートル)を確保し、高さ十六メートルの木支柱を合ってて、空中線六基を樹林にめぐらした 技術者、職員計五十五名が勤務する局舎を点在させ、翌年四月に竣工し、五月五日から操業を開始した。当時、我が国の対外送信は、政府関係者以外に同盟通信社のモールス電と日本放送協会が諸外国で流す「海外送信」および「東亜中継放送」があった これらの対外放送は、一九四五年八月十日から十五日の間、日本政府のボッダム宣言受託表明に際して、歴史的な役割を果たした。政府の外交ルートとは別に、ボッダム宣言受託に関するニュースを送り出したのである。ここにあった「多摩送信所」も木造、手動による回転アンテナから電波を送ることによって、ボッダム宣言受託の重要な役割を担い、一九四六年十一月十日、開設以来1年半で活動の幕を閉じた。本学の多摩校地は多摩送信所の跡地に位置し、発掘調査にいより一部の遺構も確認された。ここにその事歴を誌し、永く後世に伝えるものである。
     一九八八年三月三十日
     法政大学

アンテナ木柱台石

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寸法  台座
(1) 4*16φ(中央に7φ柱穴)

(2)12*50φ 

(3)60*60φ(台形の上寸法)

35*70*70(台形の下寸法)