大戸の記念碑

雨乞いの場の碑


場所

町田市相原町大戸5183
IMG_0666.JPG


昭和五十五年十一月吉日
本体 A面 碑文
   C面 昭和五十五年十一月吉日建之

団法人相原保善会財
寸法 本体
80*130*66
   受け台座
15*15*45*2本 
   台座
(1) 18*137*99  

(2) 65*130*95  

(3) 8*145*108

山型平板石

碑文
早天が続き作物が被害を受けると部落総出で氏神に祈りをささげるのが習慣となっていた その由来は明らかではないが、遠い昔からこの丑田の山頂が雨乞い場に使われ、戦後の昭和二十二年頃の雨乞いがその最後であった。 この年は、日照りが続き田は水がなく作物が枯渇寸前であった。大戸の八雲神社のお祭りの前日七月三十一日、部落の人々が此処に集まり火を焚き神官にのりとをあげてもらい、大戸の観音様から借りてきた大きな鐘をたたき、焚火の周りを回りながら雨乞いの歌をうたい降雨の祈りをささげた。因にこの地方では雨乞いの行事として高尾山に行き護摩を焚いてもらったり、八王子市寺田の榛名神社にある地の霊水を持って歸り田畑にまいたりした

雨乞いの歌
東に黒雲おったったー 西に雨雲回わるとさー 南に雷出たとさー 北に回ると雨降るとさあー
町田市史
下巻記載
農業が畑作を基盤とした丘陵地においては、作物の生育期に干魃(かんばつ)が続くと致命的な被害を受けた。人間の能力によって克服することができない天然現象に対しては、地域社会全体の祈りが共同祈願の方をとって表された。相原町泰良谷戸では、町内の大戸部落のはずれにこんもりした山があり、その頂上に雨乞いの場があった。各戸から男が一名ずつ出て集まり、神職から雨降り祈願の祝詞(のりと)をあげてもらい、その後で大戸の観音様から借りてきた一尺五寸の高さのある鐘を二人の男が棒でかつぎ、たたきながら村を回った。この鐘の音が雨をよぶのだといい、明治時代の終わりころまで盛んであり、その場で雨になったこともある。