大戸は、東京都町田市相原町の西端にある地区で、戦国時代には大木戸があった場所です

大戸の伝承

恋路の坂

RIMG1128.JPG八王子千人同心がしら、原半左衛門の祖先は、永禄四年(一五六一)の川中島合戦のとき、敵将、謙信の乗馬を槍の穂先で打ち、あやうい信玄を救ったという原大隈守胤歳であったという。
この原半左衛門の娘が、奉公人の下男と恋仲となった。これを知った半左衛門は、不義は許せぬー相分かれよと叱り、家名をけがす不らち者となじりもしたが、恋墓の情炎はつのるばかり、二人の仲は割くべくもなかった。怒りに怒った半左衛門はついに二人を連れ出し、坂のあたりで両人を斬り首をはねてしまった。そのなきがらは坂の東側の山あいに葬った。
あわれに思った里人は、ここを「恋路の坂」とよび、葬った場所を「千人塚」と称し、六地蔵を建て、二人の霊をなぐさめたという。六地蔵はのちに大戸観音の境内に移したといわれる。
その時、首をはねた刀は、不浄であるとして、権現社に納められたが、いつ知れず失せてそのゆくえがさだかでない。