相原の歴史・観光

供養塔

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場所 相原町1777番地 塩澤家墓地内
(1992)平成四年十二月吉日
大乗妙典六十六部

本体 A面 (右)正徳四年二月吉日(一七一四年)
      (中央) 大乗妙典六十六部
       (左)再建平成四年
          十二月吉日(一九九二年
          第十一代塩澤薫八十一才
   C面  碑文(別掲)
寸法 本体100*31*15
   台座20*58*40
隅丸角塔

碑文
この供養塔は、相原町字梅木沢一九八二番地、山林四畝四歩(409平方米)にあったが、昭和四十年代に三井不動産に買収され、当時より風化甚しく刻字等不詳のまま放置しておいた。この度この地に移築するに当たり、年代等入念に調べた処、第三代修徳院実翁了三居士(一七二四年没名不詳)の建立と推定できる。目的は不詳であるが伝えによると、初代、二代が原田甲斐に組し、知行地に塩澤の地名がある。伊達騒動落着後、この相原の地に落ち居を構えた初代の戒名は一七九年後の弘化四年行昌寺十六世より頂いている。この様な事から勘案して、この騒動の犠牲者の菩提を弔うために建立したものと想像している、
                      八十一歳翁 薫記

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供養塔

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場所 相原町梅木沢1982番地
(1714)正徳四年二月吉日(町田市史による)
大乗妙典六十六部

本体 A面 奉納大乗妙典六十六部
   B面 正徳四年甲午天二月吉日
           法名 寛心了参居士
   D面 武刕多摩郡中相原村属名塩澤◯◯
寸法 本体65*24*19
   台座(1)17*37*35
     (2)12*49*50
隅丸角塔

塩澤家墓地に移築冴える前の供養塔である。
本来A面に他の文字も有るが風化のため読めない。
台座に対して本体は逆向きに設置されている。
丸山団地より七国山に向かう尾根道右側山中にある。
平成29年現在は、台座のみ存在

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