相原の歴史・観光

曹洞宗籌國山長福寺

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場所 相原町2109番地
曹洞宗籌國山長福寺
町田市小山田、大泉寺末。
寛永二年(1625)大泉寺十二籌山賢察により寺谷戸に開山され、文化九年(1812)に現在地に移された。
本尊 釈迦牟尼仏
本堂 天保十三年(1842)改築、寄棟造り、間口7間半、奥行七間半。拝仏の間、格天井に江戸名所図会の著者長谷川雪堤描く花丸の絵35枚がある。(町田市重宝指定昭和48年3月8日)

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横井戸

奥行50米の横井戸は飲料水確保のため本堂移築時のものである。

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水子地蔵

昭和五十四年に施工された。

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鐘楼

天保年間の建築で九尺四方垂水造り、梵鐘は昭和四十九年新鋳される。

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名水鉢

文化九年壬申年記年(1812)現在本堂屋根雨水受けに使用している。

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灯籠1対

天保十五甲辰年七月(1844)歴代住職墓地石段下(全高210)

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灯籠1対

 

大奥に支えた二女性の墓

場所:文殊堂裏

徳川十一代将軍家斉の大奥で中臈(ちゅうろう)を勤めた。法名禅眞院と侍女妙光院の二人が城下がりとなり、中相原の領主建部家より下相原の名主青木家に引き取られ、清水寺を居住し仏に支えた。

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禅眞院恵澤無染大姉(左側)

台座(1)A面 禅眞院恵澤無染大姉

   B面 明治二巳年八月二十二日

寸法 本体65

   蓮座12*65∮

   丸座10*36∮

   台座(1)50*42*42

     (2)25*60*60

     (3)15*84*84

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妙光院柏窓貞潔大姉(右側)

台座(1)A面 妙光院柏窓貞潔大姉

   B面 慶応三年卯年十月一日

寸法 本体65

   蓮座14*70∮

   丸座10*40∮

   台座(1)50*42*42

     (2)27*60*60

     (3)16*84*84

長福寺由来の碑

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寸法 本体145*210*24
   支持台46*30*62*2本
角平板石

曹洞宗籌國山長福寺

長福寺のの歴史は古く、寛永二年(一六二五年)に大泉寺第十二世籌山賢察大和尚によって相原町松ヶ谷戸(現寺谷戸)の山麓に開山され、ご本尊はお釈迦様で御朱印五石三斗とされています。
文化三年(一八〇六年)に現在地に移築する工事に着手し、文化九年(一八一二年)の伽藍(がらん)移築大工事に併せて飲料水確保の横井戸、鐘楼、水屋などが整備されました。
天保六年には現在の本堂、並びに庫裡の改修工事が始められ、天保十三年(一八四三年)に完成し、相模平野が一望できる景観と自然環境に恵まれ、近郷有数の霊場として信徒の参詣が多かったと伝えられています。
この改修の時に江戸の絵師で狩野派の長谷川雪堤によって仏殿天井の杉板三十五枚に、桜、紫陽花、水仙など草花が色鮮やかに描かれた「格天井花丸画」は、昭和四十八年に町田市指定有形文化財に指定されています。
さらに文久元年に山門及び文殊堂の建設が進められ、文久二年(一八六二年)に完成いたしました。山門は欅材を使用し、唐戸上部の斜めに雨を呼ぶ雲竜の構図の雄大さが認められ、また文殊堂は一本堀の上り竜と下り竜の柱、その他の彫刻では今では得がたい作風と認められ、ともに昭和四十八年に町田市指定有形文化財に指定されています。
大正十二年(一九二三年)の関東大震災で裏山が大崩落し本堂が前に押し出され一部に損傷がありましたが、檀信徒の奉仕によって修復されました。
その後も寺観整備事業を進めつつ、客殿、庫裡、籌福堂、梵鐘再鋳、三界萬霊供養塔、昭和及び平成墓地の建設など行っております。
また教化育成の活動が盛んになり、さらに護持会の充実によって、住職と檀信徒が一丸となって法燈を守りながら地域社会の福祉向上と安寧のために努めています。

合掌
平成十四年十一月十八日

(裏面)
志納 最寿院寒優賢居士(守)小祥忌
平成十四年十一月十八日
相原町一七六〇番地 石井 悟

手水鉢

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洮頮水の由来
洮(とう)髪の毛、手足を洗う意
頮(かい)顔面を洗う意
抑々洮頮水の縁起を尋ぬるに本堂西側の通称観音山に文政時代観音堂が在り観世音に信仰厚き下相原青木家七代前当主源兵衛妻さとが「一願成就」を祈念し享和元年三月願主として寄進されたものであります。長福寺は寛永二年中相原松ヶ谷戸に開山し後に寺谷戸坊主山の麓に遷り更に文政・天保年間現堂宇が十二世雅隆和尚の時、七ケ年の歳月を要して建立されました。
同年代観音山の堂宇は累遷されその際、鐘楼及び本堂正面に掲げられた「施無畏」の扁額と共に、この水鉢も現在地に遷置されました。その水源は本堂左脇の長さ三十間ある横井戸より湧き出ずる泉とめて沐浴斎戒し念彼観音の御力を頂礼せんとする信者の数多きと聞く 又この水は脚気に卓効ありと謂う霊水であります。

三拝 昭和五十五年四月八日 
籌國山長福寺 十九世 西垣 文雄

文殊堂

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文久二年(1862)落成。(町田市重宝指定昭和48年3月8日)入母屋総欅造り、九尺四面の唐破風のある一間の向拝をつけている。柱には上り竜下り竜の一本彫り、すべての組物た柱の台輪にまで、唐草、波に千鳥、菊花の透かし彫りなど多彩な彫刻が施されている。
本尊 文殊菩薩騎獅像(木製座像)高さ一尺五寸黄金色(現在は本堂に)
長福寺、清水寺の建築物は、青木家七代当主青木勘次郎易直の設計監督によるものである。

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石宮 文殊堂石段左側土手

弘化五年(1848)正月、肇隆和尚が先宮破壊故に建立を命ず。千造作とある。高さは棟から台石まで三尺三寸ばかり「先宮破壊」とあるから、それ以前も天神宮をお祀りしてあったと思われる
寸法 本体76*38*55
   台座25*55*75
本体B面「先宮破壊」「千造作」他に文字有り・
  D面「弘化五戌申正月」他の文字有り

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山門

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文久四年(1864)落成
(町田市重宝指定昭和48年3月8日)
切妻総欅造り、粽(ちまき)柱の四足門、入口二間、奥行二間、門扉あり。全面に雲龍、舞楽など、多彩な彫刻が施され冠木門で門扉に施された竹林の七賢人の彫刻は有名で有る。

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相原学校開校地の碑

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場所 山門 右側
本体A面 相原學校開校地 長福寺 自:明治七年 至;明治十五年
  C面 相原小學校百周年記念 実行委員会建之
                昭和四十九年十一月吉日
寸法 本体185*35*22 角石柱
   台座30*120*80 自然石
長福寺には寺子屋があり仮校舎として明治七年七月に開校され、明治十五年まで、第十四世圜山瞬久和尚が首座教員として教えていた

供養塔

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場所 入口駐車場広場奥
本体A面 (右)爲明治三十八年三百二十五名
     (中央)供養塔
     (左)相原共有財産管理會建之
  C面 相原保全会建立について碑文(別掲)
     (78*118)角石板埋め込み
     昭和四十五年四月吉日
寸法 本体175*200*60 自然石
   台座65*380*140 自然石
詩碑
 本体A面 碑誌 人名324名
   C面 平成四年十月吉日建之
         財団法人 相原保善会
寸法 本体120*220*17
   本体受け角座30*31*60*2個
       台座35*250*110
明治三十八年時会員名

碑文(供養塔C面)

相原は武蔵国多摩郡横山庄と呼ばれた頃、上、中、下相原村に分かれ、夫々各村に所属する入会地として大地沢、七國、御殿に約二十九町歩の秣場を有していた。
明治八年、上、中、下、各村は合併して相原村となり、更に二十二年小山村と合併して境村となったが、この入会地は境村、由井村宇津貫、横山村大船の三村共有地の一部として継承され、明治三十八年各村協議会の議決を経、郡参事会の許可を得て夫々三分割し、当時の区民三百二十五名の相原区有の地となった。
明治四十一年相原小学校建築に当たり資金難からこの共有地の売却も考えられたが、相原区村民は各々分担金を寄付し、この共有地を保存してきた。以来各部落ごとに植林組合を作り、その管理を行い昭和十六年東京都と契約を結び、その一部を都行造林とした。
昭和二十九年、地方自治法の一部改正を機に相原財産区管理会が設立されたが、昭和三十三年、町田市合併以後、市条例を制定せず相原部落有財産として沿革を持ちながら財産の帰結について不明確な形におかれて来たので、昭和四十二年、町田市長と協議の上、境界争いのため諏訪加賀が獄門に殉じた伝えのある。殿丸、和田内、七町歩余を市庁舎建設資金に寄付し、他の財産をもって財団法人阿井原保善会を設立し、地域公共福祉に、この財産を活用することになっった。
ここによき遺産を残された先人に感謝してこの碑を建立し願わくばこの功徳を以って普く一切に及ぼ郷士の繁栄を祈念する。
昭和四十五年四月吉日 相原共有財産管理会
  表字 高尾山主大僧正  秀順書

参道

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石段

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灯籠9対

全高170

平成17年12月新設

灯籠刻銘

爲吉川家先祖代々菩薩

平成十七年十二月吉日

町田市相原町二二三四番地

吉川靖彦

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庚申塔三猿

場所 参道入口左側土手上
(1766)明和三乙戌稔七月吉日
本体A面 庚申塔
  B面 明和三乙戌稔
  D面 武刕多摩郡中相原村七月吉日
              講中廿壱人
台座(2)A面三猿、B,D面に人名21名あり。
数法 本体(57+5)*26*26
   蓮台座14*40*38
   台座(1)13*33*32
     (2)16*42*40
山型角塔

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地蔵

場所 参道入口右側土手
(1783)天明三癸卯年七月○日
本体A面 地蔵立像を刻す
  B面 天明三癸卯年七月○日
  D面 武州多摩郡中相原村念佛講中
台座 A、B、C,D面に人名、35名あり
寸法 本体(90*5)*36*34
   蓮角座22*55*55
    台座29*48*48
山型角塔


籌福堂

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昭和46年4月に七尺四方の御堂が建立された、廃寺となった光明庵、伽陵庵の本尊を合祀した。

○光明庵
 宇名 和田(JR横浜線西口前)にあり、慶安三年(1650)頃、建立された。
 本尊 薬師如来座像。木造で台座より光背まで、高さ82糎、彩色に金箔を施している。
○伽陵庵
 宇名 丸山表にあり、寛文十一年(1671)建立される。
阿弥陀如来座像。石像、像高50糎、台座高さ16糎、巾44糎。台座に寛文十一年二月二十八日と刻されている。

籌福堂東側石塔群

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地蔵

場所:籌福堂東側より左から1基目

年号:不明
本体A面 (右)(右部分欠損)
     (中央)地蔵立像
寸法 本体48*25*8

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墓石群

場所:籌福堂東側より左から10基目

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墓石群

場所:籌福堂東側より左から11基目

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墓石群

場所:籌福堂東側より左から12基目

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墓石群

場所:籌福堂東側より左から13基目

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墓石群

場所:籌福堂東側より左から14基目

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石宮

場所:籌福堂東側より左より15基目

年号:(1880)明治十三庚辰年○十一月廿一日
本体B面 明治十三庚辰年○十一月廿一日
  D面 中組 寺下中
寸歩 本体50*28*24
   台座10*40*30
この石宮には「町田の民話と伝承第一集」に(生き埋めされたご両部さま)の言い伝えがある。

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地蔵

場所:籌福堂東側より左より16基目

年号:(1768)明和五戌子七夕
本体:地蔵座像
台座(1)A面 南無地蔵大菩薩
   B面 願主安心 斉藤今五郎
      明和五戌子七夕
   D面 下相原 金子要五郎
      宮崎 牛太郎
寸歩 本体36
   台座(1)25*21*21
     (2)14*42*42
座像

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南無阿弥陀仏

場所:籌福堂東側より左より17基目

年号:なし

本体A面 南無阿弥陀仏(特本書)

寸歩 本体100*64*38  自然石

   台座48*110*75  自然石
台座A面に

自然石
A面に當村中

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三界萬霊塔

場所:籌福堂東側左より18基目

年号:なし

本体A面 三界霊塔

寸歩 本体69*45*30

   台座18*47*40

自然石

供養塔

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場所 墓地
三界萬霊供養塔
六角台座(1)4面に羅漢像8体
寸法台座(1)66*一角巾67
  台座(2)66*一角巾87
  台座(3)63*一角巾107

碑文

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当山は、第百七代後水尾天皇の御代に開山璽来籌國山と号し曹洞宗大泉寺末に属し
時移り天保六年長福寺十二世中輿不能雅隆大和尚の時現在地に移築
 天保十三年落慶御本尊は釈迦如来で境内は風光絶佳現在に至る。
 昭和六十四年住職墓地跡並びに寺墓地(蘭塔場)が相原中央公園地区となり移転の止むなきに至り寺の西側山林造成に着手
 平成墓地として平成三年八月に完成 発掘改葬に当り無縁と思われる墓石九十余基埋葬跡多く長福寺の因縁霊位供養と文殊昭和平成の各墓地檀家故人墓地に眠る霊位のご冥福と全檀信徒の諸災消除諸縁吉祥を祈念し茲に聖観音併せて十六漢を建立する
         合掌
           平成四年三月吉日
               長福寺第十九世
                 鈴光文雄大和尚

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六地蔵

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場所:墓地
地蔵立像
寸法 本体76
   蓮座17*40φ
   台座17*37*34

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