印刷用表示 |テキストサイズ 小 |中 |大 | updated 2017-03-11 前へ次へ
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JR相原駅の西北の小高い山を観音山と呼び場所は定かではないが、昔、観音堂があったと伝えられている。 永禄十二年(1569)武田信玄が上州より南下し小田原城を攻撃した時、途中相原を通過 観音山の観音堂を焼き払ったという。 その時、本尊の木製僧形座像を背負って火の中を持ち出し、後に清水寺内に観音堂が建ち納められた。 座像の背後が焼かれているのは、その時の跡と伝われている。
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