相原の歴史・観光

大戸踏切

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町田方面から町田街道を西に進むとJR横浜線の踏切がある。
相原駅の近くにある踏切にも関わらず
”大戸踏切”と書いてある。

なぜ大戸踏切か??

大戸は、今から400年以上前
元八王子に北条の城が有った時代
北条の第一の木戸があった。

江戸時代になってからも、小仏峠越を行わなくて済む甲州街道の裏街道として栄えた。
また、城山湖にある、金比羅神社詣でなども盛んで
大戸(上大戸)は、旅籠や飲み屋お店など点在し栄えたのである。
相原は大戸から栄えて行ったと言い伝えられている。

横浜線が開通する明治41年までは、大戸が一番栄えており
町田街道に踏切を作るに当たり、大戸踏切と名付けられた。

町田街道を上大戸に向かうほど、神社・仏閣・石仏の数が増えていくことでも
大戸が栄えていたことが、判明できる。


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