相原の歴史・観光

青木家屋敷

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場所 相原町810番地
町田市文化財指定   昭和52年2月23日
東京都重要文化財指定 昭和55年2月21日
青木家七代当主 青木易直により文久二年(1862年)に建てられた

以下は青木家前にある説明板による

市指定重要文化財  青木家住宅(通称本家)

町田市相原町八一〇番地字中久ヶ谷戸
建立年代は当家にある文久二年の祈祷札と同年代と推定される。
建物は桁行十間半、梁行7間、茅葺き入母屋造りで、三室並列構成の桁行六間半梁行三間半の書院座敷を有する、名主造りと呼ばれる住宅である。間取りは、四間取りの基本型を大規模化し、南側に表玄関を設けている。屋根構えはもとより、主家、書院屋敷とともに、用材ならびに技術の優秀さ、整った意匠構成等、一部後補はあるが原型を正しく残し幕末最上層民家の特色を発揮した当地方の存在である。

昭和五十二年二月二十三日 指定

市指定史跡 青木家屋敷及び裏山庭園

幕末に建立された書院座敷を有する地方豪農の上層大型民家で、建物と屋敷構え及び庭園は水戸の弘道館と下屋敷を倣して造られたと伝えられている。(昭和五十二年二月二十三日指定)
         昭和五十四年三月 町田市教育委員会

東京都指定史跡  青木家屋敷

         所在地 町田市相原町八一〇番地.他
         指定  昭和五十五年二月二十一日
江戸時代初期に至るまでの青木家(屋号「本家」)の沿革は不詳の所が多いが、江戸時代後半から大きく屋を伸ばし幕末から明治期にかけての歴代当主は豪農として地域社会の教育振興、勧農などに貢献している。特に青木正太郎(一八五四〜一九三二年)は自由民権家として活躍した。
当家は多摩丘陵最南部の一隅に位置し、屋敷地の前を町田街道旧道が走っている。裏の丘陵に接した平地の中央やや西寄りに南面した主屋(文久二年1862年)を構え、南には表門、東には裏門が建てられている。
主屋西南に上蔵一棟が建っている。生活関係の付属屋は屋敷の東南に建てられ、裏門の西南に木小屋兼堆肥小屋、北にクミアイ、オチャバ、ミソベヤの三棟が建ち、裏山は自然の傾斜を利用した庭園となっている。
青木家の屋敷は旧態を良く留めており、この地方の幕末から明治期における豪農の生活様式を知る上で非常に貴重なものである。
指定面積は七〇〇三平方メートル
  平成十二年三月設置  東京都教育委員会

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