大戸の神社・伝承

正八幡社

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鎮座地 町田市相原町3716
御祭神 応神天皇(おうじんてんのう)
由来 当社は貞治6年(1367)7月15日の創立にして、小泉作左衛門が滝の谷に勧請した社である。寛文7年3月の検地の際には除地田一反一畝二歩(いったんいっせにほ)と畑一畝一八歩があった。 祭神は応神天皇を奉斎
例祭日 毎年4月4週 日曜日
境内面積 94坪 
社殿 寄棟造(間口2間 奥行き4間半)
氏子数 16戸
法人設立 昭和29年9月4日
宮司 中村 武比古
交通 横浜線相原駅より神奈中バス
円林寺前下車徒歩5分
町田市史
下巻記載 
相原町武蔵ヶ岡には、天正年間に建てられたという正八幡社があり、二十戸(現在は十六戸)の氏子によって祀られている。四月二十一日(偏在は4月4週日曜日)が祭りで、年番二名ずつの当番が準備する。祭典の後は境内にむしろを敷き、当番の家で料理した酒、ちくわのてんぷら、昆布とにんじんとササゲの煮物、菜の胡麻あえ、こんにゃくの煮物などで飲食をする。
祭りの費用は宮田(ミヤダ)の収入によっている。
この正八幡社の境内にはミタケサンと呼んでいる小さな祠があり、武州御嶽山を祀っている。この神を祀るようになったのは、昔、稲の穂を盗む者があったので、ミタケのオイヌサマ(オオカミサマともいう)を祀って田を守ってもらったのだという。 

武蔵岡の亀井戸

円林寺前の神奈中バス停留所から五十メートルほど西に行くと都道の新道と旧道にわかれているが、この旧道を百メートルほど西にすすんだあたりで、右土手の丘のふところにあたるところに、清水が湧き出ている小さな井戸がある、この井戸は、昔からどんな旱魃の年にも水がかれることがない。土地の人達は、これをむかしから「武蔵岡の亀戸」とよんでいる。いまも泉の脇き口だけはわかる。もとの井戸は、手前の桑畑の凹地辺だったという

武蔵岡遺跡

DSC_6262.JPG場所 大戸武藏岡団地とゆくのき学園

多摩丘陵緑辺部及び境川べりの沖積低地など四カ所に分かれ、学校用地と武蔵岡住宅地として昭和五十二年から五十六年まで発掘調査が行われたRIMG0561.JPG先土器時代の石器、礫群、縄文時代早期から後期にかけての土器群、おとし穴状土坑、炉穴群、住居址の地に、古墳時代〜奈良、平安時代の集落、中世戦国時代の建物址、近世の炭焼窯など多岐に亘って発見された。特に本遺跡からは多数の木製遺物が出土した

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例大祭

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神社の屋根裏に有る木札の調査

DSC_7778.jpg神社の屋根裏に木札が有るということで、大祭礼時に調査を行いました。
八幡大菩薩と書いてありました。
昔は”八幡大菩薩”と言われていたものが、何時の時代からか”正八幡社”になったと思われます

地図

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