場所 | 町田市相原町大戸 |
宗派 | 宗派 臨済宗 |
寺号 |
なし。八王子市山田廣園寺末 |
開山 | 不明 |
本尊 | 現在は石像で付近の田圃より出土したという。 |
本堂 | 正面三間「太子堂」の額をかかげ上部狐格子、横三間半、三方欅丸柱にて三寸廊下あり一間の向拝をつく。寄棟御堂造り。明治初年焼失のため、八王子市散田太子堂を移築して今日に至った。 |
町田市史 下巻記載 |
大戸はその昔、鎌倉や甲州に通ずる要地だったので、大木戸の番所があり、里人は大木戸の木をいつしか逸脱してしまって大戸と呼びなれ、それが地名となったこの番所のすぐそばに了心庵なる草庵があったが後にこれが山田(八王子市内)の雲津院の末寺となり大戸祐照庵となった。境内に相武二十四番霊場としての観音堂がある。本尊は天明年間に佐藤安八郎という者が、大戸の東谷戸の水田から発見した尊像があるという。この観音堂の梵鐘は、八王子城に北条氏照が在城していたとき、付近の景勝の地をえらび「八王子八景」と称して歌を詠み、そのなかに「大戸晩鐘」として詠った |
大戸観音堂鐘楼
山門との合作の鐘楼門で九尺四面の総欅造り
階下が門、階上鐘楼で梵鐘は昭和四十三年新新鋳され、鐘銘と、
夕かすみ立つ大戸の鐘の音に
妻木を負いひて帰る里人
の八王子八景の短歌を刻んである。
大戸の大木戸の謂で、北条氏照が八王子城を築いたころは、城の第一の木戸がここにあったものと推定される。「八王子八景」は氏照時代に定められたとの伝承もある。
記
此処に祐照庵なる一宇ありて 発願の観音堂梵鐘は 法恩の縁を結ぶ事二百五十余年 然るに大東亜戦争に際し徴に遭い 梵音惣ち消ゆ
夫れ梵鐘は仏法擁護の法器なり 今般信徒一同相議り 宝鐘一基寄進す願くばこの鐘の音と共に聞声悟道の安心を得て 平和の世界を招来せんことを
茲に旧鐘の銘を鋳刻して 鴻恩に報い奉る
昭和四十三年初春 信徒一同