大戸の神社は、平家の落人たちが守っています。自治会単位では、日本一神社の多い地区となっています。

大戸の神社・仏閣・石仏

八雲神社

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鎮座地 町田市相原町4393
御祭神 素盞鳴男命(すさのおのみこと)天照天神の弟
由来 創建の年代は不詳である。寛政9年(1797年)7月に社殿再建し、土ヶ谷天王社と五反田天王社を合祀して八雲神社としたものである。松日楽氏の土地寄進により現在地に奉斎したもの。大戸の天皇様と称する。大戸囃子は市の無形文化財であり、毎年祭礼には奉納があり御輿の町内巡行の都御を行う。
例祭日 毎年7月4週 土曜日
境内面積 58坪
氏子数 0(お祭り時は、大戸各神社の氏子総出で行います)
法人設立 昭和29年4月2日
宮司 中村 武比古
交通 横浜線相原駅より神奈中バス
公会堂下車徒歩1分
町田市史
下巻記載
相原町大戸鍛冶谷(かじやと)には八雲神社が祀られ、大戸の氏神となっている。大正十二年(一九二三)に上相原の氏神であった天王さんと下大戸の氏神であった天王さんを合祀して八雲神社として。氏子は一三十戸くらいで、氏子総代は三年ごとに改選する。
祭りは八月一日(現在は7月4週 土曜日)であるが、この日をホンマチといい、七月三一日(祭り前日)をヨイマチとかヨミヤという。七月三一日の午後になると、八幡神社広場のミコシ(神輿)堂から神輿を出す。そして神職と神社係(二名)が本殿からご神体を神輿にうつす。またダシゴヤ(屋台小屋)からダシを出して清掃する。
八月一日は朝から氏子の若い衆が神社に集まって神輿をかつぐ準備や、ダシを引く準備をする。
神輿の道順は八雲神社を出発して上大戸にゆき、再び八雲神社へ帰ってくる。そして次に下大戸へゆき、再び八雲神社に帰る。
この順番を一年ごとに変えるのである。
神輿は大戸の各コナに祀ってある神社に必ず立ち寄り、そこの広場に神輿を安置して神職に祝詞をあげてもらう。神輿をかつぐのは各戸順番で二十名くらい出た。現z内ではかつぐ者が少なくなっている。
ダシは町会の役員と子供とが引いてまわり、ダシの中でお囃子を行った。祭りの費用は各戸から米一合づつ集めるのと、参拝にきた人がお燈明料として出す寄付でまかなった。 
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大戸ばやし記念碑

IMG_0501.JPG場所  石段中間 左側
昭和五十六年八月一日建之
本体 A面 町田市技能無形文化財
      大戸ばやし記念碑
      太鼓、横笛、面がそれぞれ刻されている
   C面 大戸ばやし由来
      世話人、はやし連(10グループ名)
寸法 本体 100*145*15

本体受座 (1)15*190*110
        (2)25*185*98
        (3)30*190*110
        (4)10*200*110
平板石
※台座(2)C面に発起人指名22名
  ※町田市無形文化遺産指定昭和38年10月22日

大戸ばやしの由来

大戸ばやしは江戸末期、相模の国鎌倉郡阿久和の里で江戸囃子の師匠御殿万造氏より神田下町囃子を伝授された相沢国造氏が縁あって当地の吉川家の養子となり郷土の若者に祭ばやしを伝えて大戸囃子の基を作りました。曲は屋台、昇殿、鎌倉、神田丸、印旛、子守唄、四丁目、車切の八曲から成り この流儀特有の威勢の良さは喧嘩ばやしの異名もあって鎮守八雲神社の祭礼にかかせぬ郷土芸能と成り 以来ここに百年独自の芸風は大戸囃子の愛称のもとに近郷近在に多くの愛好者を得て この流儀のはやし連は貳拾余の多きにおよんでいます
茲に八雲神社 神殿竣工の時に奇しくも巡り逢せた大戸囃子発祥百年を記念して碑を建立し よき故郷づくりの一つとして生活の中に情緒を添えるお囃子が幾久しく後世に受継がれ愛好されることを祈念するものであります。
                昭和五十六年八月一日  世話人 はやし連10グループ名

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平和之礎 碑

IMG_0505.JPG八雲神社神殿(右)
平成七年八月十五日(1995)
本体 A面 平和之礎  戦没者指名二十名
   C面 碑文
寸法 本体  107*92*10
   角台座 19*30*40(2本)
   台座  16*140*50
隅丸角塔 平板石(黒)

碑文

第二次大戦、終戦五十周年にあたり、この戦没を顧みて平和の礎として碑の建立を発願いたしました。
思えば当時の大戸は戸数百戸に足らぬ静かな山村でこの戦役に村の祭りを故郷の想い出に社前に武運を祈願し故郷をあとに従軍した青壮年は実に百貳名の多きに達しました。
 哀しいかな帰らざる戦没者貳拾名の貴い犠牲はまことに痛惜の極みであります。
茲に謹んで御霊の冥福を祈り願わくは安らかに平和の礎として郷土の鎮めとなることを祈ります。
  平成七年八月十五日  八雲神社氏子一同
             石工 秋元石材店
             八木貴久雄 謹書

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泰良観音堂

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泰良観音堂碑

DSC_6642.jpg場所 堂右側にあり
本体 A面 碑文
寸法 本体 120*70*10
   台座 16*85*31
平板石山型

碑文

記念碑A面

             記念碑
抑 泰良観音堂は恵日庵と号す。傅説に依れば慶安(南北朝時代)の頃、三洲の人松平廣綱(後恐れ有りと平を日楽と改称する)なる者、大慈悲の十一面観世音の尊像を奉持、この地に来り一宇を建立安置せるを創始とす。
爾来、二百二十有五年を経て慶長元年三月御堂を建立遷座し、松日楽一族はもとより遠近の観音信奉者、年毎に増加せりと傅ふ
その後、幾多の変異を経て嘉永元年建立の堂宇は明治十三年九月の台風により倒壊し後三十有六年御堂を見ず。幸なる哉、大正四年御即位の盛儀を記念し再建し、今又明治百年に当たり再び建立する事を得慶賀に堪えず、依って茲に落慶を記念して碑を建て後世に傅えんと浴す。

記念碑C面

明治四十四年十一月吉日
  願主  圓林寺三十六世現住 僧正 高築 尭宥
  発起人 松日楽梯助、源吉、弥蔵、勝、小池恒夫、忠雄
  碑文選 渋谷 幸次郎

場所  字泰良谷戸(町田市相原町大戸4393)
宗派  天台宗 圓林寺末
本尊  十一面観世音寺号 なし。開山 相原村誌に「寺地二百二十九坪、慶長元申年三月十五日建立にして間口二間、奥行二間」としてあり。また、南北朝のころ松平広綱という人、正観音像を背にして、この地にきて祀ったのがこの堂とも伝えられてる。
現堂宇  昭和四十四年十一月再建  二間四方

地蔵・地神塔・石宮(泰良観音堂)

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町田市史下巻記載

相原町泰良谷戸には十一面観音をまつった観音堂(泰良堂)があり、その近くにいずれも頭の欠けた六地蔵がある(現在は修復)また、子供のない人が願をかけ、お礼に赤い前掛けを縫って供えることもある。

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金剛悲地蔵(東に向かって左から一基目)

年号なし
本体    地蔵座像
台座 A面  (右)  上相原
       (中央) 金剛悲地蔵
           (よてんがじぞう)
       (左)  恵日庵
   B面   風間村  施主  沙念尼

寸法 本体   54*40*30
   蓮座   16*50*45
   台座(1)32*28*26
     (2)13*50*45
金剛悲地蔵 こんごうひじぞう

左手に錫杖を持ち、右手は引接印を結びます。
畜生道から救います。

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金剛幢地蔵(東に向かって左から二基目)

年号なし
本体      地蔵座像
台座 A面   金剛幢地蔵(こんごうとうじぞう)
   D面   諦説恵観居士
        施主 八左衛門
寸法 本体   54*40*30
   蓮座   16*50*45
   台座(1)32*28*26
     (2)13*50*45

金剛幢地蔵 こんごうとうじぞう
左手に金剛幢を持ち、右手は施無畏印を結びます。

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金剛幢地蔵(東に向かって左より三基目)

年号なし
本体    地蔵座像
台座 A面   金剛幢地蔵(こんごうとうじぞう)

寸法 本体   54*40*30
   蓮座   16*50*45
   台座(1)32*28*26
     (2)13*50*45

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南無釈迦牟尼如来(東に向かって左より四基目)

年号なし
本体    地蔵座像
台座 A面  南無釈迦牟尼如来
   B面  恵日庵信徒為各家
       先祖代々菩提供養他

寸法 本体   54*40*30
   蓮座   16*50*45
   台座(1)32*28*26
     (2)22*46*45

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金剛願地蔵(東に向かって左より五基目)

年号文化十四年八月六日(1817)
本体    地蔵座像
台座 A面  (中央) 金剛願地蔵(こんごうがんじぞう)
   B面   文化十四年八月六日開眼氏

寸法 本体   54*40*30
   蓮座   16*50*45
   台座(1)32*28*26
     (2)13*50*45


金剛願地蔵 こんごうがんじぞう
左手に炎魔幢を持ち、右手は成弁印を結びます。

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放光王地蔵(東に向かって左より六基目)

年号なし
本体    地蔵座像
台座 A面  (中央) 放光王地蔵(ほうこうおうじぞう)

寸法 本体   54*40*30
   蓮座   16*50*45
   台座(1)32*28*26
     (2)13*50*45

放光王地蔵 ほうこうおうじぞう
左手に錫杖を持ち、右手に与願印を結びます。

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預天賀地蔵(東に向かって左より七基目)

年号なし
本体    地蔵座像
台座 A面  (右)  上相原
       (中央) 預天賀地蔵(よてんがじぞう)
       (左)  恵日庵
   B面   風間村  施主  沙念尼

寸法 本体   54*40*30
   蓮座   16*50*45
   台座(1)32*28*26
     (2)13*50*45

預天賀地蔵 よてんがじぞう
左手に如意宝珠をもち、右手は説法印を結びます。
諸天人に悟りを得させます。

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金剛悲地蔵(入口西部)

年号なし 記名の台石失う
本体    地蔵座像
寸法 本体   80*68*35
   蓮座   18*70*70
   台座(1)25*57*57
     (2)20*75*57

地蔵改修碑

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A面  誌(碑文)
寸法70*60*6.5各平板石(黒)


武州上相原村字泰良谷の十一面観世音菩薩恵日庵は近隣の信仰厚く、そこに寛政、文化、文政の頃沙念尼と浄心尼といわれた庵主さんが居られました。風間村在住の浄心尼が願主で近隣の方々の協力で人々の平和と幸福を巻か希い、それぞれ追善供養のための地蔵菩薩様を建立されました。昭和十八年頃道路の拡張で移動され首がなくなっていたので、平成二年観音様のお開扉の中、松日楽綱久が永年の念願で秋元石材の協力を得て首をつけさせていただきました。それから十二年裏山の取付道路工事にともない、済度移転しました折、下の台座がいたみ昔の方々の真心が忘れさられることを惜しみ圓林寺さんのご指導ををいただき一部修復をして長く地域の人々と繁栄を希う願主の心を大切に伝えていきたと思います

圓林寺第三十七世明代
  平成十五年秋彼岸 真と松日楽綱久

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地神塔

場所 八雲神社石段右側上る
天保三年十二月十六日(町田市史による)
本体 A面  堅牢地神塔
   B面  願主 松日楽 治右衛門
   D面  天保三壬辰十二月十六日
寸法 本体  48*21*14
   台座  (1) 13*28*25
       (2)10*38*35
山型角塔

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石宮

場所 八雲神社石段右側上る土手上
文政八年二月
本体 B面  武刕上相原  松日楽氏
   D面  文政八乙酉年二月初午
寸法 本体  58*28*40
   台座  7*45*90
稲荷社(石宮)

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地図

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